会社の設立趣意書当時、東京巨人軍など次々と生まれるプロ球団のために新しい野球場が求められ、野球場建設と経営を行う会社として、「株式会社後楽園スタヂアム」(現株式会社東京ドーム)が設立された。 |
後楽園球場 開場式日本初の2階式スタンドを備えた野球場の完成。収容人員は内野席2万人、外野席1万人の計3万人にも及ぶもので、当時の我が国にはこの規模の建物は存在していなかった。 |
球場内のシャンツェでジャンプ雪のない東京でスキージャンプ大会を開くという壮大なプランを実現させるため、新潟から鉄道で大量の雪を後楽園球場に運び込み、巨大なシャンツェを誕生させた。 |
観客を魅了する木下サーカスの演技後楽園球場に4,000名を収容できる大天幕を張って、木下サーカスを開催。戦時中の催し物としては大きな人気を呼び、戦後も、サーカス興行会場として定着した。 |
大戦下の夏場所1944年、第二次世界大戦が敗色濃厚となった日本軍の接収下、工場化された国技館に代わり大相撲夏場所が後楽園球場で行われた。引き続き、秋場所も同年11月に開催された。 |
水道橋エリアを多目的に活用競輪場の建設は、本格的な水道橋エリアの多目的活用の第一歩であった。プロ野球の隆盛に加えて、競輪部門が好況だったことが、この後の当社経営を大きく躍進させた。競輪の開催期間以外は、競輪場バンク内が、サッカーやアメリカン・フットボール、ボクシングなどに活用された。 | 1950年代へ |
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