1950年代へもどる |
ボウリングブームの火つけ役ボウリング会館が完成した当時の、62レーンのオートマチックピンセッターは、日本一であり、アメリカでも数えるほどしかなかった。大衆的普及という意味でのボウリングの幕開けとなり、その後に起こるボウリングブームの下地をつくることとなった。 |
ホテル事業進出の第一歩上越地区のスキー場、箱根のアイススケート場に続き、リゾート事業進出の第三弾として、熱海海岸にホテルと、日帰り客向けの大規模なレストセンターおよびリゾート型遊園地を建設。ホテルには、当時、大ブームとなっていたボウリング場も設置した。 |
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